10月の月次祭講話(要約)

信仰する上での心のあり方

私(会長)は、昭和37年12月25日におさづけの理を拝戴し、
ちょうど今年で丸50年になります。

この間、振り返りますと、長く教員をしていたということもあって、
どうしても”知っている事”を教えようとしてしまいがちです。

もちろん、教理も大切ですが、
私自身が信仰する上で日々の心のあり方をお伝えできていないなぁと
あらためて感じ、反省を意味を含めまして、
最近、当教会では「信者の栞」を読ませていただいております。

今日の祭文にもありましたように、
信仰する上で、まず人間の元、世界の元を知り、
この世のすべては神様のご守護の元で成り立っていることを理解し、
そして日々の心遣いを反省することが大事です。
その反省するよすがとして、八つのほこりを教えていただいているわけです。

具体的には、「信者の栞」の中の「誠真実」にて以下の通り書かれていましたので、ご紹介します。

「誠真実」

信者の栞

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誠真実というは、ただ、正直にさえして、自分だけ慎んでいれば、それでよい、というものじゃありません。誠の理を、日々に働かしていくという、働きがなくては真実とは申せません。

そこで、たすけ一条とも、聞かせられます。互いたて合い、扶け合いが、第一でございますによって、少しでも、人のよいよう、喜ぶよう、救かるように、心を働かしていかねばなりません。そこで八つのほこりも、わが心につけんばかりでなく、人にもこのほこりをつけさせぬように、せにゃなりません。

まず己がほしいものならば、人もほしいに違いない。
人にほしいという、ほこりをつけさせまいと思えば、わがものもわけさして頂くようにし、一つのものは半分わけても、ほしいのほこりを、つけさせぬようにするのが、真実、誠の働きです。

われが見て、をしいと思われるようなものならば、人もをしいに違いないによって、忘れたものも速やかにかえさしていただき、落としたるものも返さしていただき、
また、天よりお与えくだされて、天の御守護で出来たものなら、たとえ一寸のきれ、一粒の穀物でも、すたらん(廃らん)ように心がけ、すべて物が無駄にならぬよう、粗りゃくにならぬよう、大切にして、

そうして一方、一列兄弟のなんじゅう(難渋)を救う心をはたらかし、
わが身かわいい、わが子可愛ければ、人の身をいわたり、人の子をかわいがる心をもち、
罪のにくむべきを知るならば、罪をおかさせぬよう、己も罪をおかさぬように、心を働かし、人の過ちも、わが身にかついで通る心になり、
うらみがほこりと知った上は、人にうらまれるような行いをせんように、
腹立ちがほこりなれば、人にはら立たせるような言葉をつかわんよう、
通常よくのないものはございませぬ故、よくのほこりをつけんよう、
色欲やごうよくの間違いに落ち入らぬように、人の世話もさして頂く、
こうまんの心ではなくとも、人にはずかしめられたりして、何とも思わぬものはありますまい。
されば人に恥かかさんよう、人と人との仲もとりつくろい、人をたてて、何事も人の心に満足をあたえるよう、
日々に互い立て合い、扶け合いという心を働かしていくように、お願いします。
<以上、「信者の栞」p29〜32より抜粋>


「誠真実」の実践

このように日々心の置き所を意識し、少しでも実行することで、
誠真実という心づかいがうまれてきます。
これこそが信仰しているということにつながっていきます。

「誠真実の心ならば、これは助けんとは言えん」とおっしゃっているように

誠真実に沿った心遣いをしていると、ひいては自分の徳積みなり、
そうしたものを神様は「放っておくわけにはいかん、助けにゃならん」と
おたすけくださいますので、お互いに、日頃の心遣いを
あらためて見直していただければと思っております。