11/3の初代会長二十年祭にあたって

ながらく更新が滞っており、見に来てくださっていた方には大変申し訳ありませんでした。
次の記事でこれまでのいちひろをアップします。今回は初代会長の二十年祭にあたって、初代会長を偲ぶ記事にさせていただいております

来月、11月3日(日・祝)は初代会長の二十年祭が行われます。

初代会長、つまりは私の祖父にあたるわけですが、
祖父は私が高校生の時に出直しました。

そのころ、私は天理高校に通っており、
定期試験対策のため、一時的に父の勤める第二専修科の
寮長室から通学しておりました。

朝、父に起こされ「会長が出直した」と聞き、
慌てて帰る支度をし、教会へ着いたときにはすでに棺に入る直前でした。
亡骸を見たのもそれが初めてでした。

魂の抜けた「亡骸」に対面して、人間の身体というものは
本当に神様からの「かりもの」であるんだなぁと感じ入ったことも覚えています。

祖父といえば、ショートホープのタバコをすい、
髪は薄かったものの、きっちり整髪していて、
また、いつも草履をペタっペタッと音をさせて歩いていました。
戦争に行った時の話を聞かせてくれました。
祖母ともよく喧嘩をしていましたが、
講社祭で出かける時などは、ハットをかぶり、身なりを整え、
今思えばとてもチャーミングな祖父だった気がします。
朝の連ドラに出てきそうな人でした。

祖父の見舞いのため、学校帰りに憩いの家に行った際、
祖父はベッドから出て、杖をついて廊下をふらふらとさまよっていました。
看護師さんに「どこにいくの?」と尋ねられ、
「どこって、おつとめに行くんや。」と言っていたことが忘れられません。
その時はなだめて、ベッドに誘導しましたが、
おそらく認知症も発症していたのではと思いますが、
祖父の道一条の一端を見た気がして、後からじわじわと感銘を受けました。

「人が好くから神が好くのやで」

ふと、ここまで書いて、この言葉を思い出しました。

私が記憶にあるのは晩年の祖父であり、
きっとそれまでの道中は、私たちが想像もできないほどの
厳しいことも多くあったと思います。

祖父がにほいがけをし、お助けに歩く中、ようぼくも増え、
教会になるために京都から、祖母のゆかりの地である現在の場所に
引っ越してきたと聞いています。

父も学生時代はかなりの苦学生であったと、
また、母は京都に嫁いだとき、祖父がとても怖かったと言っていた気がします。
ただ、普段こわい父が祖父の葬儀に際して、涙していた姿を見て、
言葉にはしないものの、これまでの私たちが知らない数々の苦労があったんだろうと感じました。

父と母が結婚し、布教所から教会になって、
私たち孫が生まれて、金銭的に余裕があるわけではないけれど、
食べる物に困ることがなくなって、
祖父母が入信した時の事を思えば、
本当に「けっこう」な日々を過ごしていると思います。

「けっこう、けっこうや」と幼いころから聞かされ、
正直なところ「けっこう」の押し売りだと思っていましたが、
大人になり、あらためて振り返ると、心からそう思えるようになりました。